
似顔絵に自信をなくした娘が遠い旅の空で何をしてるのか、もう明日の撮影に備えて寝てるのか、それとも寝床でろくでもない妄想をしているか、そればっかりは分かりません。何はともあれ清志郎。
思えば清志郎が喉頭がんになって活動休止を発表したのが2006年の7月のこと。
ちょうど9月1日クランクインを目指してロケハンだのキャスティングだのやってる時だった。
清志郎が喉頭がん。歌えなくなるかもしれない。
まっさきに思ったのは
何で清志郎?
そんなん別の人がなればいい病気じゃん。
清志郎がなんなくても。
でも、なった。
人生っていうか運命ていうのは理不尽だ。
何で清志郎が?
清志郎のホームページには清志郎のメッセージが手書きでのっかていた。
そのメッセージの最後には
「何事も人生経験と考え、
この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できればと思います。
またいつか会いましょう。
夢を忘れずに!」
と書いてあり、いつも清志郎が書くひとはたうさぎのイラストも一緒に書き添えてあった。
「新しいブルースを楽しむように」だって。
うー。
うー。
清志郎らしいなぁと思った。
だからこの人が好きなんだなぁと思った。
んで、このメッセージをプリントアウトして机の脇に貼った。(「バカバカンス」の美智男の部屋で写ってます。)
何かしようと思ったけど何をすればいいのか分からず、この「バカバカンス」を頑張って準備して撮影して完成させればいいんじゃないか!と思った。
全く関係ないけど、自分が頑張れば清志郎も良くなる。
自主映画なので一人で準備してると時々不安な気持ちになる。ちゃんとこの映画は成立するのか?
自分がやめよ!と思えばやめちゃえるし。ロケハンしてて全然いい物件が出てこないと「あぁ面倒だ。誰か見つけてくんないかなぁ」
なんて思って「もうやめたろか」って気持ちになったりする。でも「いかんいかん、こんなん汚れ職業助監督生活に慣れてしまったからそう 思ってしまうだけで、自主映画をやってる人は当たり前にこんなことしてるんだぜ」と思い直したりしてテレンコテレンコやっていた時期の清志郎のがん告白。
俺も頑張ろ。清志郎に比べりゃ屁みたいなもん。
おならプーだ。
おならプー。
ってことで準備準備。
で、そんなある日8月の初め伊豆方面をロケハンした帰りにそのまま神楽坂にライブを見に行った。
風間組の「せかいのおわり」という映画で沖縄に行った時にお世話になった稲嶺さんがライブするから見に来れば?と風間さんが誘ってくれたのだ。
神楽坂の赤城神社の一角に設置されたカフェがライブ会場だった。
風間さんがやっほーと出迎えてくれる。
と、風間さんのTシャツにどっか見覚えがある。新品のTシャツだけど。何でかな?
よく見るとフニャフニャしたアルファベットで「kiyoshiro imawano~」と書いてある。
分かった!見覚えがあるのは見たからで、それは清志郎のホームページでネット通販で売っているTシャツだった。
本来その夏の日比谷野音のライブ用に作られたTシャツだけど、清志郎のがんでライブが中止になったのでホームページで売り出していたのだった。
「清志郎ががんになったって知って何か出来ることしようと思って」と、風間さん。
そんで買ったTシャツだった。
さすが風間さんだなぁと思った。僕も何かしようと思ったけどぼんやりしてただけで、そういう発想はなかった。
先立つものは金。活動休止中の清志郎の生活を支えなければならぬ!
いいことはまねをするに限る。早速僕もネットで注文した。
そして,このTシャツを着て「バカバカンス」の撮影に臨もう!と決意したのだった。
のはずだった。
が、全然 Tシャツが届かない。とっくに来てもいいはずなのに。
クランクインが迫る。
もうあのTシャツでクランクインすると決めたのだから他のTシャツじゃ嫌だ。他のTシャツでクランクインしたら失敗する気がする。
「全然来ないんですけどTシャツ」と半分切れ気味でTシャツ屋さんに電話をする。「あぁそうですか、すいません。すぐ送ります」との返答。はぁ何か肩すかし。ま、いっか。
で、すぐにTシャツはやってきた。
良かった。
清志郎Tシャツを着て無事クランクインを迎えられたのだった。2006年9月1日のことでした。
またもや熱く語ってしまった宮田宗吉(監督)